【映画】「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」

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映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」

 

ヘンリーダーガーは、19世紀末にアメリカで生まれ、母を早くに亡くし、精神障害と診断されて父からも引き離され孤独な子供時代を送った。青年期以降、掃除夫として働く傍ら、たった1人で誰にも見せることのない「作品」を、半世紀以上もの間作り続けた。現代ではアウトサイダーアーティストとして広く知られている。

 

(児童書好きの人にとっては、石井桃子の評伝『ひみつの王国 評伝 石井桃子』の表紙絵に採用されたことも記憶に新しい) 

ひみつの王国: 評伝 石井桃子 (新潮文庫)

ひみつの王国: 評伝 石井桃子 (新潮文庫)

 

 

 「非現実の王国で」と名付けられたその作品は、ヴィヴィアン・ガールズという7人の女の子が、悪と戦うという1万5千ページにも及ぶ膨大な小説作品で(世界一長いとも言われている)、新聞や雑誌の女児の写真などから着想を得て描かれたとされる300枚もの絵からなる物語を表した画集もある。

 

その全てはヘンリーダーガーの死の間際に「発見」され、死後「評価」された。

 

ヘンリー・ダーガーの生涯を追ったこのドキュメンタリーを、私はもう10年以上前に見た。

ヘンリー・ダーガーが老人施設に入った際に部屋の整理を任され、作品を発見した、彼の住まいの大家は、彼に「すごいじゃない!」と言う。

しかしすでに死の淵にいた彼は「too late=もう遅過ぎる」と応える。

 

当時を振り返る大家のインタビューシーンを見て、私は衝撃を受けた。

自身が世間とかけはなれた世界に生きているからこそ生まれたとも言える彼の作品は、見る者を驚かせ、胸を打つ。

しかし彼自身はいわゆる幸せな人生をおくりたかったもしれないし(その証拠とも思えるのが生涯で何度も養子を求めているところ)、作品だって、自分が生きている間に認められないのなら(認められるとも思っていなかったかもしれないけれど)彼自身にとってはなんの意味もなく、全ては「遅すぎる」のだ。

 

彼の絞り出すような叫びを、この「too late」という言葉から私は感じた。

その時から、私は「too lateにはなりたくない」と、合言葉のように思うようになった。やれることや挑戦できることはすぐにやる、人生に後悔したくないから。ヘンリーダーガーの「too late」を、私が代わりにリベンジしてみせる、くらいの気概で(何様)色々なことをやってきたと思う。

 

でも、それでも、「間に合わない」ことはある。この10年を振り返ってみても、何もかもがあまりにも「too late」だった。間に合わなかったと何度も思った。

最近になってやっと、人生ってそんなものなのかもしれないと思えるようになってきた。それでもこれからも、私は「too late」に抗って生きていくと思うのだ。