人生のある時期まで、「良いことをすれば良い結果が生じる」「因果応報」「悪い行いをすればバチが当たる」的なことを、信じていた。
どうしようもないクソガキ幼少期を経て、やっと物心ついた高校生くらいからは、「誠実に生きる」ことに意識的にフォーカスして生きてきたように思う。そうすれば、きっと報われるはずだと思っていた。
どう考えてもそんなわけないというのは、世の中で日々起こっている悲惨な事件や事故からもわかるはずなのだけれど、それでも、信じていたかった、祈りにも近かったと思う。
そして、
「わーーー今までいろいろ良いことをやってきたつもりだったけど、報われなかったな!!」
という具体的な経験をした。
そのとき、神の不在を確信した。「神も仏もないわ」と、リアルで言うことになるとはね。
のちに、上記のような「良いことをすれば良い結果が生じる」という考え方を、「公正世界誤謬」と呼ぶ、と知ったときは結構な衝撃だった。
名前ついてるのこれ? そんでこれ「誤謬」なん!?
いやー、中学校くらいで教えておいてよそれ…。
(でも、そんなん教えられたらみんなびっくりしちゃって、グレちゃうかもね…。)
とにかく、善行と報いは無関係ということを思い知った私は、それでも世界に対して誠実な態度を取り続けることが、すくなくとも自分自身にとっては意味があると思って生きている。
しかしながら、神はおらず、善行が報いに結びつかないのだとしたら、世界は一体どんな仕組みになってるんだろう? とは思っていた。
そして、今回の癌である。
癌かどうかの検査結果が出る直前、会社の同僚が私に言った。
「そんな悪い結果にはならないですよ。お役目がある人は、大丈夫なものです」
あかーん! と思った。それは、病や事故などで死んだ人は「役目がなかったから」死んだって言ってるのも同じことで、死者を冒涜しているし、そもそもめっちゃ役目あるのに死んで惜しまれてる人、世の中にはめっちゃいっぱいいますけど!
「こういうのは、運なんですよ! 雷が落ちるみたいなもの!」
と力説したけれども、あまり伝わらなかったようだった。
「物事は納得できる理由があって起こる」(因果応報)説は、やっぱり広く流布しているのだと感じた出来事だった。
冷静に考えれば誰だってわかるはずなのだ。でも、ふとしたときに因果応報を当前のように思ってしまう。
私だって実際、どこかで「なんでこんな目に遭ってるんだろう? 私ってそこそこ世の中に役立ってるのに」という感情が拭いきれない部分もある。
頭ではわかっていても、「なんで?」の、ハテナマークが消えないのだ。
それは、努力や善行が報われないとして、では、どうやって生きていけば良いのか?という問いでもある。
そんな中、入院用に爆買いした本の中で、今読んで良かったと思えた本があった。
正確には入院前に読み切ってしまい、退院後にも2回くらい読んだ。
私たちは、どうしても「自分の努力で人生をコントロールできる」と思ってしまいがちだ。
「自分の努力で人生をコントロールできる」というのは、まさしく「公正世界誤謬」そのものだ。この本はこの誤解をたくさんの例を出して丁寧に解こうとする。
この本では、コントロールしようのない「偶然」(運)が、人の人生や世界を大きく左右する、と書かれている。
例えば…
・原子爆弾は京都に落とされる可能性が高かった。その予定が変更されたのには、ある夫婦の「個人的な思い出」が<偶然>影響している。
・哺乳類が卵を産まないのは、一億年前の祖先があるウイルスに<偶然>感染したことで、胎盤の進化につながったからと言われている。
・地殻変動について、第二次世界大戦中に<偶然>ドイツ人が発表したことから、反発があり、1960年代まで受け入れられなかった。
例にあげられる一つ一つの逸話が興味深くて、「わー、おもしろ!」と思って読み進めるのだけれど、途中で迷路に入り込んだ気持ちになってしまって、理解しきれず、何度も読むことになった。
というのも、著者は最初から「すべては予測不可能」「偶然に左右される」とずっと言っているのに、12章で「すべては決まっている」と断言するのだ。
ここが一見アンビバレントに見えて戸惑ってしまった。しかし、よく読むと筋は通っている。
つまり著者が主張するのは、「これから先何が起こるか全ては決まっている(偶然すらも)けれども、少なくとも人間にはそれを予測することは不可能」ということなのだ。
人類は、来週の天気すら、正確に予測できないが、実は来週の天気は決まっている…決まって?え?なんで?と思うのだけれども、本書を読むと納得させられてしまう。
この、「これから先何が起こるか全ては決まっている」という考え方(「決定論」)は、ちょっと受け入れ難いのだけれども、本書を読むと「なるほど」と唸らざるを得ない。
(すべてはシュレディンガーの猫…ってこと…?)
また、「努力」が「成功」という結果を産むとは限らないと再三言っているのに、12章で突然、ほとんどのことは「過去の出来事から導き出される」と決定づけたのにも、びっくりした。そんなら、努力したら成功できるってことでは!? と単純に考えてしまう。
これも、「単純な原因(努力)」から導かれる「結果(成功)」だけでなく、「複雑な原因(努力をしたけれど邪魔が入ったり事故に遭ったり体調が悪くなったりした)」が絡み合った「結果(失敗)」ということが十分にあり得る、という話のようだ。
とかく、世界というのは複雑で、決して単純化できない、ということが、何度も主張される。そして、それにも関わらず人間は、物事を単純化しがちであるということも。
そうなんですよね、だから「なんで良いことしてるのに報われないんだろう?」とか思ちゃうんです。
「私たちは逃れようのない相互関係のネットワークにからめとられ、互いに結びつけられて運命という1着の衣を作っている」 ーーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア
(『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』p.28)
「私には夢がある」に匹敵する名言がキング牧師にあったとは。
キング牧師めちゃくちゃ悟ってますやん。中島みゆきの「糸」を1世紀前に歌っちゃってますやん。
世界は非常に複雑に絡み合い、些細なことで揺らぎが起き、それがバタフライ効果のように広く伝播していき、それを人間はコントロールしきれないし予想もできない。
なるほど、納得した。
そういう意味では、「世界は一体どんな仕組みになってるんだろう?」という疑問には、一定の答えを得たような気がする。
では、「どうやって生きていけば良いのか?」について、本書にはそれなりのことが書いてあるけれども、「そうか! そうします!」というような気持ちにはなれなかった。
だってー別に良いことしたって良い結果が得られるわけじゃないんでしょー??
人生めちゃ寄る辺なさすぎーって感じー、である。
まあ、そんな単純な「答え」なんてない。
何せこの本は、「人間の自由意志」すら否定しており、どう生きるか、という決定すらも、「自分で決めた? 本当に?」と疑問を突きつけてくるのだ。
ああ、「自由意志」すらないなんて…!
(みなさんもこの本を読んで一緒に愕然としませんか、とお誘いしたい。)
そんな自分で決めたとも言えない自分の結論としては、以前と変わらず、
「それでも世界に対して誠実な態度を取り続ける」である。
これをクソ真面目に思ってるというわけでは実はなくて、「こんな目に遭っても!人に親切にしちゃうんだぜ!」と、おもしろがりながらやってるところがある。Mっ気があるんですかね、自分。
癌になってさすがに「冗談言ってんじゃないよ」と、余裕がなくなっていた時もあったけど、それも喉元過ぎればなんとやら、である。
癌になっても、特に人生観は変わりませんでしたとさ。*1
手術は概ね成功すると言われているけれど、万が一何かで失敗することもあるだろうなということも、この本を読んだことで考えていた。(第6章に、確率のことについて書いてある。)
医者が寝不足だったり、何か心配事を抱えている可能性だってあるのだ。思わぬところを切ってしまうことだってあるかも。
「この病院では全身麻酔で事故があったことはありません」と、麻酔の先生に言われた時も「ほお、これまでは…ね」と、意味深に思ったりしたのだった。
それで必要以上に不安になるということではなくて、「そういうものなんだろうな」と思っていた。全ての人が、予測できない「偶然」に翻弄されて生きているということを、本を読むことで実感したというのもあるだろう。
そして運良く、手術は成功した。よかった。*2
同時期に『プラネタリア』という本も読んだけれど、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』と照らし合わせて考えたら、つくづく浅い考えの本だなと感じた。「良い物語を提示することで、世界を良い方向に導いていこう!」というようなことが書いてあり、目を覆いたくなるような単純さだ。
同じような装丁で同じ感じで売り出しているけど(本屋で隣同士で並んでいた!)、深さが全然違って、ある意味面白かった。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』で、ラスト近くで主人公たちがある生物の進化を促して「品種改良」しているときに「おやおや、そんなふうに自分の思い通りに進化をすすめることができるという考えは危険だぜ…」と、すぐにピンと来たのも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』を読んだからだ。
進化は必ずしも思惑通りの良い方向だけに進むとは限らない、というのも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』に書かれたエピソードの中にあった。
『神の蝶、舞う果て』にも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』に通じるところがあったのだけれど、なんだったっけ…。今ぱっと書けない。いつか追記するかも。
『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』を読んだことで、その周辺の読書体験もさらにおもしろくなった。
年明けからの数ヶ月は、いつもより読書が進み、
とにかくいつでも、読書は楽しく、刺激を与えてくれた。
願わくば、これからまた何かあったとしても、本が読み続けられますように。
ここで、ダラダラと書き綴った舌癌の治療記を終わりにしたいと思う。
術後3ヶ月、定期的に通院しているが、今のところ再発や転移はない。
舌の調子は良いかと言われるとそうでもない。左の背中の凝りもある。
これからも通院は続く。一度癌になってしまったら、多かれ少なかれ一生の付き合いになる。これから先、再発しない可能性もあれば、する可能性もある。
例の本によれば、それは「決まっているけど予測はできない」。
予測できないし自分の意思は存在しないらしいしで、寄る辺なさすぎるけれども。
でも「爆食いしたら太る」とか、「ドラッグやったら破滅する」とか、「寝なければ眠い」みたいな単純な原因と結果も実際にはあるわけだから、確実な破滅への道は選ばないように気をつけつつ、とりあえず「誠実に」、様々なことと向き合い続けたいと思う。
お付き合いいただいている皆さま、これからもどうぞよろしくお願いします。
*1:
癌以降、人生観は概ね変わらなかったとして、何か変わったところがあったかというと、あんまり無理はしなくなった、という感じはする。
「いろんなところに積極的に出かけていこう!」というのも自分のモットーだったのだけれど、特に人と交流するような場所へ出向くことには、気後れするようになってしまった。
これはあまりおしゃべりの舌がまわらないからというのもある。
*2:
『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』のおもしろポイント追記:本書では、「引き寄せの法則」に親でも殺されたのかというくらい、「引き寄せの法則」を厳しく糾弾していたのもおもしろかった。
「2世紀前に奴隷にされた人々は、奴隷にされていない自分の姿を想像しさえすれば」(p.317)奴隷状態から解放されたのか? と言われれば、願望を思い浮かべたり言葉にしさえすればそれは叶うという「引き寄せの法則」に、怒りを覚えるという気持ちも確かにわかる。
でも、今という時代に限定して言えば、願望を思い描いたり口にしたりすることが、世界を変えるバタフライ効果の一つになり得るとは言えると思った。現代は口に出すことが叶いやすい社会でもあると思うのだ。
















