【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】㉓それでも読書はおもしろい

人生のある時期まで、「良いことをすれば良い結果が生じる」「因果応報」「悪い行いをすればバチが当たる」的なことを、信じていた。

どうしようもないクソガキ幼少期を経て、やっと物心ついた高校生くらいからは、「誠実に生きる」ことに意識的にフォーカスして生きてきたように思う。そうすれば、きっと報われるはずだと思っていた。

どう考えてもそんなわけないというのは、世の中で日々起こっている悲惨な事件や事故からもわかるはずなのだけれど、それでも、信じていたかった、祈りにも近かったと思う。

 

そして、

「わーーー今までいろいろ良いことをやってきたつもりだったけど、報われなかったな!!」

という具体的な経験をした。

そのとき、神の不在を確信した。「神も仏もないわ」と、リアルで言うことになるとはね。

 

のちに、上記のような「良いことをすれば良い結果が生じる」という考え方を、「公正世界誤謬」と呼ぶ、と知ったときは結構な衝撃だった。

名前ついてるのこれ? そんでこれ「誤謬」なん!?

いやー、中学校くらいで教えておいてよそれ…。

(でも、そんなん教えられたらみんなびっくりしちゃって、グレちゃうかもね…。)

 

とにかく、善行と報いは無関係ということを思い知った私は、それでも世界に対して誠実な態度を取り続けることが、すくなくとも自分自身にとっては意味があると思って生きている。

 

しかしながら、神はおらず、善行が報いに結びつかないのだとしたら、世界は一体どんな仕組みになってるんだろう? とは思っていた。

 

そして、今回の癌である。

癌かどうかの検査結果が出る直前、会社の同僚が私に言った。

「そんな悪い結果にはならないですよ。お役目がある人は、大丈夫なものです」

あかーん! と思った。それは、病や事故などで死んだ人は「役目がなかったから」死んだって言ってるのも同じことで、死者を冒涜しているし、そもそもめっちゃ役目あるのに死んで惜しまれてる人、世の中にはめっちゃいっぱいいますけど!

「こういうのは、運なんですよ! 雷が落ちるみたいなもの!」

と力説したけれども、あまり伝わらなかったようだった。

「物事は納得できる理由があって起こる」(因果応報)説は、やっぱり広く流布しているのだと感じた出来事だった。

冷静に考えれば誰だってわかるはずなのだ。でも、ふとしたときに因果応報を当前のように思ってしまう。

 

私だって実際、どこかで「なんでこんな目に遭ってるんだろう? 私ってそこそこ世の中に役立ってるのに」という感情が拭いきれない部分もある。

頭ではわかっていても、「なんで?」の、ハテナマークが消えないのだ。

それは、努力や善行が報われないとして、では、どうやって生きていけば良いのか?という問いでもある。

 

そんな中、入院用に爆買いした本の中で、今読んで良かったと思えた本があった。

正確には入院前に読み切ってしまい、退院後にも2回くらい読んだ。

 

 

私たちは、どうしても「自分の努力で人生をコントロールできる」と思ってしまいがちだ。

「自分の努力で人生をコントロールできる」というのは、まさしく「公正世界誤謬」そのものだ。この本はこの誤解をたくさんの例を出して丁寧に解こうとする。

 

この本では、コントロールしようのない「偶然」(運)が、人の人生や世界を大きく左右する、と書かれている。

例えば…

・原子爆弾は京都に落とされる可能性が高かった。その予定が変更されたのには、ある夫婦の「個人的な思い出」が<偶然>影響している。

・哺乳類が卵を産まないのは、一億年前の祖先があるウイルスに<偶然>感染したことで、胎盤の進化につながったからと言われている。

・地殻変動について、第二次世界大戦中に<偶然>ドイツ人が発表したことから、反発があり、1960年代まで受け入れられなかった。

例にあげられる一つ一つの逸話が興味深くて、「わー、おもしろ!」と思って読み進めるのだけれど、途中で迷路に入り込んだ気持ちになってしまって、理解しきれず、何度も読むことになった。

 

というのも、著者は最初から「すべては予測不可能」「偶然に左右される」とずっと言っているのに、12章で「すべては決まっている」と断言するのだ。

ここが一見アンビバレントに見えて戸惑ってしまった。しかし、よく読むと筋は通っている。

つまり著者が主張するのは、「これから先何が起こるか全ては決まっている(偶然すらも)けれども、少なくとも人間にはそれを予測することは不可能」ということなのだ。

人類は、来週の天気すら、正確に予測できないが、実は来週の天気は決まっている…決まって?え?なんで?と思うのだけれども、本書を読むと納得させられてしまう。

この、「これから先何が起こるか全ては決まっている」という考え方(「決定論」)は、ちょっと受け入れ難いのだけれども、本書を読むと「なるほど」と唸らざるを得ない。

(すべてはシュレディンガーの猫…ってこと…?)

 

また、「努力」が「成功」という結果を産むとは限らないと再三言っているのに、12章で突然、ほとんどのことは「過去の出来事から導き出される」と決定づけたのにも、びっくりした。そんなら、努力したら成功できるってことでは!? と単純に考えてしまう。

これも、「単純な原因(努力)」から導かれる「結果(成功)」だけでなく、「複雑な原因(努力をしたけれど邪魔が入ったり事故に遭ったり体調が悪くなったりした)」が絡み合った「結果(失敗)」ということが十分にあり得る、という話のようだ。

 

とかく、世界というのは複雑で、決して単純化できない、ということが、何度も主張される。そして、それにも関わらず人間は、物事を単純化しがちであるということも。

そうなんですよね、だから「なんで良いことしてるのに報われないんだろう?」とか思ちゃうんです。

 

「私たちは逃れようのない相互関係のネットワークにからめとられ、互いに結びつけられて運命という1着の衣を作っている」 ーーマーティン・ルーサー・キング・ジュニア

(『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』p.28)

 

「私には夢がある」に匹敵する名言がキング牧師にあったとは。

キング牧師めちゃくちゃ悟ってますやん。中島みゆきの「糸」を1世紀前に歌っちゃってますやん。

世界は非常に複雑に絡み合い、些細なことで揺らぎが起き、それがバタフライ効果のように広く伝播していき、それを人間はコントロールしきれないし予想もできない。

なるほど、納得した。

そういう意味では、「世界は一体どんな仕組みになってるんだろう?」という疑問には、一定の答えを得たような気がする。

 

では、「どうやって生きていけば良いのか?」について、本書にはそれなりのことが書いてあるけれども、「そうか! そうします!」というような気持ちにはなれなかった。

 

だってー別に良いことしたって良い結果が得られるわけじゃないんでしょー??

人生めちゃ寄る辺なさすぎーって感じー、である。

 

まあ、そんな単純な「答え」なんてない。

何せこの本は、「人間の自由意志」すら否定しており、どう生きるか、という決定すらも、「自分で決めた? 本当に?」と疑問を突きつけてくるのだ。

ああ、「自由意志」すらないなんて…!

(みなさんもこの本を読んで一緒に愕然としませんか、とお誘いしたい。)

 

そんな自分で決めたとも言えない自分の結論としては、以前と変わらず、

「それでも世界に対して誠実な態度を取り続ける」である。

これをクソ真面目に思ってるというわけでは実はなくて、「こんな目に遭っても!人に親切にしちゃうんだぜ!」と、おもしろがりながらやってるところがある。Mっ気があるんですかね、自分。

癌になってさすがに「冗談言ってんじゃないよ」と、余裕がなくなっていた時もあったけど、それも喉元過ぎればなんとやら、である。

癌になっても、特に人生観は変わりませんでしたとさ。*1

 

手術は概ね成功すると言われているけれど、万が一何かで失敗することもあるだろうなということも、この本を読んだことで考えていた。(第6章に、確率のことについて書いてある。)

医者が寝不足だったり、何か心配事を抱えている可能性だってあるのだ。思わぬところを切ってしまうことだってあるかも。

「この病院では全身麻酔で事故があったことはありません」と、麻酔の先生に言われた時も「ほお、これまでは…ね」と、意味深に思ったりしたのだった。

それで必要以上に不安になるということではなくて、「そういうものなんだろうな」と思っていた。全ての人が、予測できない「偶然」に翻弄されて生きているということを、本を読むことで実感したというのもあるだろう。

そして運良く、手術は成功した。よかった。*2

 

 

 

同時期に『プラネタリア』という本も読んだけれど、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』と照らし合わせて考えたら、つくづく浅い考えの本だなと感じた。「良い物語を提示することで、世界を良い方向に導いていこう!」というようなことが書いてあり、目を覆いたくなるような単純さだ。

同じような装丁で同じ感じで売り出しているけど(本屋で隣同士で並んでいた!)、深さが全然違って、ある意味面白かった。

 

 

 

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』で、ラスト近くで主人公たちがある生物の進化を促して「品種改良」しているときに「おやおや、そんなふうに自分の思い通りに進化をすすめることができるという考えは危険だぜ…」と、すぐにピンと来たのも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』を読んだからだ。

進化は必ずしも思惑通りの良い方向だけに進むとは限らない、というのも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』に書かれたエピソードの中にあった。

 

 

 

『神の蝶、舞う果て』にも、『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』に通じるところがあったのだけれど、なんだったっけ…。今ぱっと書けない。いつか追記するかも。

 

『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』を読んだことで、その周辺の読書体験もさらにおもしろくなった。

年明けからの数ヶ月は、いつもより読書が進み、

とにかくいつでも、読書は楽しく、刺激を与えてくれた。

願わくば、これからまた何かあったとしても、本が読み続けられますように。

 

ここで、ダラダラと書き綴った舌癌の治療記を終わりにしたいと思う。

術後3ヶ月、定期的に通院しているが、今のところ再発や転移はない。

舌の調子は良いかと言われるとそうでもない。左の背中の凝りもある。

これからも通院は続く。一度癌になってしまったら、多かれ少なかれ一生の付き合いになる。これから先、再発しない可能性もあれば、する可能性もある。

例の本によれば、それは「決まっているけど予測はできない」。

予測できないし自分の意思は存在しないらしいしで、寄る辺なさすぎるけれども。

でも「爆食いしたら太る」とか、「ドラッグやったら破滅する」とか、「寝なければ眠い」みたいな単純な原因と結果も実際にはあるわけだから、確実な破滅への道は選ばないように気をつけつつ、とりあえず「誠実に」、様々なことと向き合い続けたいと思う。

 

お付き合いいただいている皆さま、これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

*1:

癌以降、人生観は概ね変わらなかったとして、何か変わったところがあったかというと、あんまり無理はしなくなった、という感じはする。

「いろんなところに積極的に出かけていこう!」というのも自分のモットーだったのだけれど、特に人と交流するような場所へ出向くことには、気後れするようになってしまった。

これはあまりおしゃべりの舌がまわらないからというのもある。

*2:

『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』のおもしろポイント追記:本書では、「引き寄せの法則」に親でも殺されたのかというくらい、「引き寄せの法則」を厳しく糾弾していたのもおもしろかった。

「2世紀前に奴隷にされた人々は、奴隷にされていない自分の姿を想像しさえすれば」(p.317)奴隷状態から解放されたのか? と言われれば、願望を思い浮かべたり言葉にしさえすればそれは叶うという「引き寄せの法則」に、怒りを覚えるという気持ちも確かにわかる。

でも、今という時代に限定して言えば、願望を思い描いたり口にしたりすることが、世界を変えるバタフライ効果の一つになり得るとは言えると思った。現代は口に出すことが叶いやすい社会でもあると思うのだ。

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】㉒発話と食事について

 

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

 

入院中、リハビリが始まってしばらくしてのこと(術後1週間くらい)。

「しゃべっていてどうですか?」と、リハビリの先生に聞かれて、

「今は確かにすごい舌足らずだし、しゃべりにくいなって感じしますけど、時間がたてば良くなっていくのかな?って楽観的に考えてるんですけど」と答えると、

「うーん…」と首を傾げられて、

「以前とすっかり同じ、ってわけにはいかないですよ」と言われた。

え、そうなんだ!?

主治医には「元通り喋れますよ」と言われていたので、不意をつかれた気分にはなった。

「でも、今でも十分お話伝わってますから、問題はないですけどね」と、リハビリの先生は付け加えた。

 

おそらく、お医者さんは患者さんをたくさん見ているから、喋れなくなる人はもっと喋れなくなるし、それに比べたら私は「喋れる」ということなのだと思う。

人とコミュニケーションが取れるならそれは十分「喋れる」に該当するだろうと。

分布図的なものを想像してみたら、たしかにその時の自分でも「喋れる」には入るなと思った。

リハビリの先生はもう少し細かく「それは前と同じではありませんよ」ということを言ってくれたのだと思う。

 

具体的には、最初は「さ」「た」「ら」行が圧倒的に話しにくかった。「あ」「は」「ま」行は最初から発話できた。「おはよう」の発話はかなり余裕だった。

舌が短くなったから、舌を口の上部に当てて発声する言葉が難しいのだ。

そして、喋っているうちにだんだん呂律が回らなくなる。舌の筋肉が疲れてしまうのだそうだ。

 

喋りやすくなったり、長時間話す時に負担を軽減するための器具(口の中に入れ歯のように入れるらしい)を作るかという話もあったけれど、それは見送ることにした。

 

退院直後、朝起きた時に「夢の中では喋れるんだな」と思ったのは、切ないというより、妙な感じだった。

 

退院数週間後、妹や親戚の子に会ったら、「口の中に常に何か入ってるみたいな、食べながら喋ってるみたいな感じする」と言われた。

「でも、喋り以外はいつもの姉ちゃんやな」と親戚の子が言ってくれた。

前のようには喋れないけれど、自分は「失われていないな」と思った時があったので、その気持ちを言い当ててくれたようで、嬉しかった。

 

仕事は、話すことが少ない業務なので、割とすぐに復帰して、なんとなく元通りやっている。昨年異動して、電話で話すことの少ない部署になったのが幸いした。

脳と言葉がうまく直結しない感じもして、報告や説明など、喋るのが億劫になることもある。今までは脳より先に口が出ていたってことかもしれない。

敬語はラ行が多くて話しにくいのかな?とも思う。

 

退院1ヶ月後、地元のお話会で、絵本の読み聞かせにも挑戦してみた。

選んだ絵本は『もこもこもこ』!

これならつっかえずいけた!

選書の妙です。

 

2ヶ月後には、もう少し長い絵本も、読んでみた。

誤魔化しきれたかはわからない。誤魔化すような読み方でいいのか?と、厳しいことを思う自分もいる。

 

以前熱心にやっていた「おはなし」(ストーリーテリング)は、さすがに今も難しいと感じている。

 

手術後3ヶ月。日常生活を送るに不自由はしていない。

でも、もう3ヶ月も経つけれど、そのわりにいつまでもしゃべりにくいものだなとも思う。

話し方に「慣れる」までは1年くらいかかるということだった。

「元には戻らない」として、どのあたりまで戻るのか?

引き続き、訓練と観察を続けたいと思う。

 

食事について、ですけれども。

主治医は、「喋ることより、食べることが大変だと思います…」と、このことについては珍しく深刻そうに入院前話していた。

退院した時、食事のレベルは「刻み食」。

しばらくお粥にカレーをかけて食べていたが、母が作りおいてくれたお粥も、レトルトのお粥も食べ尽くした次の瞬間、「お粥は、もういいかな」と思った。

そして、米を柔らかめに炊いて食べたら、食べれた。

退院して5日目くらいのことである。

そこからは、普通食を食べるようになった。

早かった…。

実は今も食べにくさはある。舌が斜めになっているから、口の中のスペースが狭いのだ。

だから少しずつ食べ物を口に入れればいいのだけど、お腹が空いていていっぱい口に入れてしまう。

そういうわけで、口の中をもごもごむにむにさせながら食べている。

味覚については、前に書いた通り、左半分は味がしないと思う、けれども、まあ右半分で十分だなと思う。

味を感じにくい感じは確かにある。

でも、そんなことで食欲がなくなったりはしないのだった。

あと、口の中に食べ物が残りやすくなったので、歯磨きの回数が増えた。虫歯予防にもなっていいのだけれど、昼休みはちょっとでも長く昼寝をしたいので、歯磨きに時間を取られることにイラついてもいる。

でもまあ、食事の話はそんなところ。

退院にあたって栄養指導を受けた時、栄養士さんにも「食べることに対してあまり不安がなさそうですね」と言われたけれど、私は食い意地が張っているので、食べることに関しては大丈夫だと思っていたし、その通りだった。

 

それよりもやっぱり、発話である。

でも、うまく話せない自分に対して「嫌だな」と思うのもどうかと思う。

病気でうまく話せない人に対して、苛ついたり邪険にして良いかというと、絶対に良くない。

ということは、病気でうまく話せなくなった自分に対して、嫌悪感を持つのも良くないのではないかと考えるのだ。

リハビリの時に先生に

「話し辛くて嫌だなと思ったりするんですけど、自分に対して嫌だなと思うのも良くないなと思っていて」

と話したら、先生はこういった。

「いや、でも、『嫌だな』と思うことを抑え込むのも良くないですよ。思ってしまってるんだから、それは」

お、おお…それは、そうか…なんだかそうなってくると、禅問答みたいだなと思った。

 

 

ものすごく長くなってしまった治療記録ですが、いよいよ次回で最終回!のはず!

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】㉑チリ子と左半身のはなし

 

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

 

「抜糸」と私が言うと、先生は一瞬ハテナ、と言う顔をして「ああ、糸抜きね」と言った。

もしかすると、「ばっし」という音から「抜歯」を真っ先にイメージするから、歯医者さんは「抜糸」を「いとぬき」と言うのかもしれない。

 

入院の直前、生検のために縫ったところの糸が残っていたのを抜いてもらった後、痛みがすっかり消えてすこぶる元気になったものの、舌の先の右あたりに違和感を感じ始めたということは、以前の記事で書いた。

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】⑩入院直前 - 読んだり、見たり、書いてみたり。

先生にも確認して、問題ないと言われていたのだけれど…

手術を終えて落ち着いた頃、気づけば、また同じ部分がチリチリしている。

しかも、手術前より一層その刺激は苛烈になっている。

かゆみがいっそう増した感じ。動かすとよりいっそう痒い。

舌が痒いなんて、こんな感覚は初めてで、不安になる。切り取って縫った左の患部の痛みよりも右の前方のチリチリの方が気になった。

「ここがチリチリするんです」

話せるようになった後は、毎朝の診察の時のたびに先生に主張する(朝の診察はいろんな先生が見てくれる)。

最初の頃は「舌が腫れているから、歯がその場所にちょうど当たってるのかな〜?」と言われたりもした。というか痒いから歯を自ら当てたりもしていた。

「ここね、突っ張る感じするよね」とか、「あーここね〜かゆいね、うんうん」と言われて、だからNANDE?となったりもした。

 

このチリチリ、通称チリ子は、入院中はずっと続き、私を憂鬱な気分にさせた。

退院後1ヶ月くらい経った頃、やっとなくなって、そこでようやく、これは大丈夫だったのだ、と納得できた。

結論としては、縫った部分に引っ張られ、負荷がかかる部分に痒みを感じていた、ということのようだ。

 

入院前からチリチリしていたのは、おそらく生検の時に縫った部分に引っ張られていたのだろう。その時は小さい傷だったので小チリ子だったのが、手術は大きい傷だったのでかきむしりたいような大チリ子に成長してしまったのだと考えられる。

 

チリ子以外にも、いろいろな感覚を舌に感じた。

手術後しばらくは、大きな風船が舌の中に入っているような感じだった。

退院後1週間はチリ子がメインの感覚、その後、抜糸をしてから、チリチリがパチパチに変わり、口の中にずっと「わたぱち」(口に入れるとパチパチ言う駄菓子!)が入っているみたいな感じになっていた。痛いとかではなく、パチパチしている。面白いなと思うときもあれば、不愉快に感じる時もあった。それから、舌が焼き豚みたいに糸でぐるぐる巻きにされているような感覚がする時もあった。それに近いけれど、もっと細い蜘蛛の糸みたいなものにひっかかって、舌が前に出ないような感覚もあったりした。

術後3ヶ月が経とうとしている今、舌はだいぶ安定してきたような気がする。大きさは元の大きさに近づいているし、左への大きな傾きが、少し軽減されてもいる。(今鏡を見たら、それでも結構傾いている。舌を出す時、真っ直ぐには出せない)

手術直後は、切り取られた部分は絶壁みたいになっていたと思う(怖くてあまり見ていない)けれど、今は膨らみが出てきているような気もする。本来の舌の形に戻ろうとしているような感じ。

生えてはこない舌だけど、毎日伸ばすリハビリをしているので、伸びたということらしい。

違和感はまだあって、今は一本の糸で1箇所ぐっと縛られているような感覚がするし、痛いと感じる時もまだある。

 

舌も、あーでもないこうでもないと、思案してちょうど良いポジションを探っているような、そんな感じがする3ヶ月だった。

 

 

それからもう一つ。

左半身の調子が悪いという話も、以前の記事で書いた。

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】③検査結果、ついに出る。 - 読んだり、見たり、書いてみたり。

 

左側の顎から首の腫れ、左の肩凝り、左の背中だけの張り、左鎖骨、左胸と左脇の痛み、左手指から腕の突っ張る感じ…

 

これぜーんぶ、術後治りました!!!!

 

そんなことあるんですか!?

正確には、左の背中の張りはまだある。(それは姿勢の問題なのかもしれない。)

でも、あんなに不快だった左胸と左脇の痛みと、左指から腕の突っ張る感じが全くなくなったのは、ちょっとミラクルを感じる。左の首の腫れも。

本当に、術後二日目くらいには「あ、治ってる」と思ったのだ。

しかも怖いのは、左半身の不調は、「1年半前」からあったということ。

その不調が、癌である舌を切ることで、無くなったというのは…なんとも…

シュレディンガーの猫は、だいぶ前からシュレディンガーだったのかも…(用法間違ってます)。

 

本当に、人体ってわからないことだらけだ。

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】⑳ついに、退院!

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

3月10日

というわけで、入院から13日、ついに退院!

先生が朝から「今日ねえ…めちゃくちゃ寒いです」と言ってきて、萎える。

担当看護師Nさんはその日はおやすみで、前日にご挨拶をした。ほがらかなNさんのおかげで、私はすごく安心して入院生活を過ごせた。

 

体重や筋力を測ってもらうと、思ったより体重は減ってない。筋力もそんなに減っていないようで、「今バランスがいいので、体重は戻さなくて良いですね、このままキープで笑」と言われる。ちょっとでも痩せてくれていないと怪我の功名ともいえない。

 

栄養指導もうけた。その時には普段体調の悪い時に食べるくらいの硬さのおかゆが食べれたし、おかずも刻めばなんでも食べれる感じだったので、多分大丈夫だと思う、と楽観的である。

 

なんだかんだいって、病院内にいれば守られているという感じがしたけれど、ここから出たらもう自分でなんでもしなくてはいけないし、現実(具体的に言うと仕事とか)も始まる。

そう思うと、喜ばしいはずの退院が少し憂鬱になってくる。

でも、何はともあれ、一旦一区切り。

 

母と伯母が迎えにきてくれて、入院費も支払って、いざ退院。

外は吹雪が舞っていた。3月なのに、この荒天…!先が思いやられる…!

 

入院していたのは約2週間。入院費については、思ったよりかからなかった。

伯母がネットで調べた舌癌の手術と入院費用の平均を少し下回るくらいの感じ。

オールインクルージブのホテルに手術付きで泊まったのだと思えば、リーズナブルとすらいえる。しかも美味しいご飯も出るのだ。

いやはや本当に、お世話になりました。ありがとうございまいた。

 

※しかもこのお金、後日結構な額が返ってきた!こ、こ、これが、高額療養費の返還ってやつなんですか…!?いいんですか、こんなに…。

本当にありがたい制度で、これが改悪されるのはやっぱり許し難い。

というわけでこちらの署名のリンクも貼っておきます。

 

www.change.org

 

 

退院直後に食べたお昼ご飯はこちら。

スープストックのスープ!
パンもスープに浸せば食べられる!

退院日の晩御飯

おかゆ、きざみほうれんそう、スープ、温泉卵

退院日翌日の朝ごはん

パン粥、めちゃおいしい。

果物も刻めば食べれる。案外、バナナは飲み込みにくい



退院翌日の昼ごはん

東京駅茅乃舎の出汁茶漬け。水分量があればいける

 

退院翌日には、母と伯母は大阪へ帰って行った。

スーパーで特価だったイチゴを両手に抱えて…。いちごジャムを作るそうです。

 

その夜、なんとなく東京ばな奈(カステラ風のお菓子)を口に入れてみたが、飲み込めなかった。いけると思ったけどだめだった。どうも水分量が重要なようで、びちゃっとしているものならなんでも食べられるのだけれど、水分がないものだと途端に飲み込めなくなる。

 

手軽さと食べやすさを総合的に考えて、当面はおかゆにレトルトカレーをかけたものをメインの食事にすることにした。

そして、早速無印良品でレトルトカレーを買いまくった。

食べることに対しては本当に抜かりがない。

無印良品のカレー。どれもこれも美味。
お見舞いでいただいたものも!ありがとうございます

 

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】⑲退院までのカウントダウン

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

日が経つにつれ、入院生活のリズムもわかってきた。

なんだかんだ1日があっという間に過ぎていく。

 

<1日のスケジュールは大体こんな感じ>

6時 検温、のあとまた少し寝る

7時 朝ごはん

9時 診察

   病棟内をぐるぐる散歩、屋上に上がってラジオ体操と発声練習

   (以下、時間がある時は本を読んだり映画を見る)

12時 お昼ご飯

13時 リハビリ

14時 口腔ケア

15時 面会

17時 風呂

18時 晩御飯

   読書などしてるとうとうとしてくる。

21時 消灯

 

3月3日

術後4日目、朝の診察では、病棟の偉い先生に「ある程度食べれて口の中を自分で綺麗にできるようになったら、病院でできることってもう無いから、退院かな〜」と言われた。

えー!まだ舌はこんなに腫れているのに!?

「舌の腫れはね、この感じだと退院までにひかないかな」と言われた。

この状態で!?世に放たれるの?

なかなかのスパルタである。

とはいえ、確かにもう点滴もしてないし、薬も痛み止めしか飲んでいない。

そう考えると、病院でしてもらえることって、あとは食事のことだけ。

このあとは自然治癒を待つしかないのだ…頼むよ人体!

いやはや、人間の治ろうとする力ってすごいのだな、と思う。

 

先生がやたら早く退院させようとする発言をしてくるので、手術後早く退院させる選手権でもやっているのか?!と思って、看護師のNさんに聞いてみた。するとNさんはけろっと「そりゃそうですよ、入院が長引いても人の体にとって何も良いことないですもん!」と言った。

入院中は動きも圧倒的に少なくなるので、日常生活をして体を動かした方が絶対回復が早い、だから早く退院できるに越したことはない、とのことだ。なるほど〜。

 

火曜日からシャワーを浴びる許可も降りた。お風呂が好きなので嬉しい。

 

 

3月5日

微熱は続いている。

熱は、傷を治そうとするためどうしても高くなるとのことで、退院まで37度前後をさまよっていた。

痛みはそこまでではないけれど、1日3回痛み止めをのむ。

 

あとは食だけ、といっても、食事の方はなかなか進まない。いつまでもどろっとしたものしか食べられない。

でも、もしかして、プリンやゼリーが食べれるんじゃない…?と思って、先生に聞いてみたら、「食べても良いですよ」(ニコ!)ということだったので、術後7日目、母にプリンを買ってきてもらう。1つで良いと言ったのに、3つ入ってた…。(3日間かけて美味しくいただきました)

思いの外、ペースト食とは勝手が違って、飲み込むのが結構きつかったけど、食べたい気持ちが勝ちすぎて食べれた。

差し入れにいただいていた千疋屋の果物のゼリーもいただく。おいしい!

ペコちゃんのスプーンに癒される

このゼリー考えた人天才




術後7日目の、その日の夜も、20時半くらいに寝てしまい、深夜2時くらいにぱちっと目が開いた。

おや?と思って口を動かしてみると、なんと、上奥歯と下奥歯がついにかみ合わさった!

まじで久しぶりー!と、上奥歯と下奥歯がハイタッチしてるみたいだ。

ちょっと興奮して30分くらい起きてたけど…すぐに寝た。

 

3月6日

金曜日の朝、起きて確かめてみると、やっぱり噛み合わせられる!

注意深く顎を動かしてカチッと合わせるのだ。

ということで、早速先生に報告し、少しずつ食べるものに刻みのものを入れてもらうようにした。

 

食もあと少し、というところで…まさかの金曜退院説もあったけれど、ギリギリ無理。

月曜日の主治医の診察を経て、火曜日の退院が決定した。

先生が「入院も飽きてきたでしょう」と言ったけれど、私の所感としては「いくらでも休んでられるな!!!」である。

毎日読書をして映画を見て、10時間くらい眠っていたら、1日はあっという間に終わってしまう。持ってきた本はほとんど読めたけど、思ったより読めないものだなと思う。

1日2冊くらい読めちゃうんじゃない?と思ったけど、実際は1日1冊も読めなかった…。

映画だって、まだまだ見たいものもあったのに…ディズニープラスは見れたけどネットフリックスまではいかなかった、と言う感じだ。

 

<入院生活後半で読んだ本>

 

 

 

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】⑱あれってせん妄⁉︎

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

 

看護師のNさんは平日昼の勤務がメインのようで、土日は不在だった。

月曜日、出勤してきて早速顔を出してくれたNさんに、私はどうしても聞きたいことがあった。

「ききたいことがあるんです」と、私はすでに準備していたメモ見せる。

「手術の後、ここで、レントゲン取りませんでしたか?」

 

そう、私には奇妙な記憶があった。手術が終わり、病室に戻ったあと、ドヤドヤと医師たちが現れて、私をベッドの横につけた台?に乗せて、「レントゲン」を撮ったのである。

 

え?病室でレントゲン?どういうこと?しかも、記憶に残っているのが、病室にいた他の患者さんに「被曝の恐れがあるので一瞬退出してもらって」と指示を出していたのだ。

そんなことある?ありえなすぎん?

 

これは、よく言われている「せん妄」なのでは…!?

まさかのせん妄初体験!?貴重すぎる!!!

と、ちょっとワクワクしていたのだった。

その時Nさんもいて、私をベッドから台?に移動させてくれたという記憶があるので、これは絶対にNさんに確認しなければと思っていた。

 

Nさんはこともなげに答えた

「あー、撮りましたよ」

・・・え。

「手術の後ね、鼻のチューブがちゃんと胃まで届いているかどうか、確認するためにレントゲンを撮るんですよ」

ほんとにー!? レントゲン室以外で取れるものなのレントゲンって!!

「せん妄だったらおもしろかったのに」

と、モゴモゴと言ったら、Nさんは笑って言った。

「ちゃんと記憶がはっきりしているって、いいことですよ」

その通りです。

【ちょっと、癌になっちゃいましてー舌癌の治療記録】⑰術後3日目、食事が問題

※一連の記事は、2025年末〜2026年春にかけて、私が体験した舌癌の記録です。

病状には個人差があり、すべてにおいて一概に言えるものではないと思います。

治療については、すでに一段落しているので、ご心配ありませんように。

 

3月2日

月曜日。土日は静かな病院だけれど、平日は看護師さんも出勤人数が多く、途端に賑やかになる。

 

私の方は熱も下がり、36〜37.5度あたりをうろうろ。熱が下がるとそれだけで体が軽い。

週末は出張に行くと言っていた主治医も帰ってきて、朝の診察で口内を見てくれる。

経過順調ということで、鼻のチューブを抜くことになった。

「鼻チューブ抜いたら、口から食事できますので」

「たべれるんですか?」(メモを見せる)

何しろ舌はまだパンパンに腫れていて、上の歯と下の歯が噛み合わせられないのだ。

「食べれますよお!」にこにこと主治医は言う。

 

ずるずるずるずる! 勢いよく引っ張られ、鼻から抜かれたチューブは約60センチ。よく見えなかったけど、どろっと粘液が付いている感じでグロテスクだった。

わーーーすっきり〜! 異物感が取れて、開放感が半端ない!

 

麻酔の先生も顔を出してくれて、SnowManトーク(筆談)に花が咲く。

手術室では麻酔で話が途切れてしまったけど、どうしてもお伝えしなければならないことがあったんや…。

「コンサートってなかなか当たらないんでしょう?」と先生が言うので、
ファンクラブに入ることをおすすめするメモ。

 

そして、お昼の時間。おかゆやペースト状のおかずの乗ったお盆が手渡される。

こ、これを…たべ…? 戸惑っていると、栄養士さんと作業療法士さんがやってきた。

「鼻のチューブ、抜いちゃったんですね…先生が食べれるって言われたので、用意したんですけど…いけます…?」

やっぱりこれはスパルタだったのか!

2人に見守られながら、おそるおそるペースト状のおかずを口に運ぶ

おいしい!!

味する!

味覚のこと何も聞いてなかったけど、ちゃんと味する!すごい!

ちびちび色々なものを口に運んでいく。

結果として、おかゆは粒が多くて飲み込めず無理だったが、

完全に液体のものなら飲めるということがわかり、ちびちびスープを飲み、南京のペーストを口に運んだ。バナナジュースも、甘くて美味しい。

そうこうしているうちに、午前中にはうまく飲めなかった水も、もうぐびぐび飲めるようになってくるんだから、体ってすごい。

 

食事の後、見知らぬ女性がカーテンから顔をのぞかせた。リハビリの先生とのことで、急にリハビリが始まる。

手鏡を渡され、今まで見ていなかった舌をついに見ることになった。

口を開けて鏡で見ると…

おや…

なんだか…腫れているのもあって、思ったより存在感を失っていない。感覚が無い部分は「無い」ものと思っていたけど、感覚がなくても存在している部分があった。全体的に右の方へ斜めに傾いて、バランスが悪い形だけれど、体積はそこまで減っていないような…。

舌を上下左右に動かす運動を、朝昼晩するようにと指導を受ける。

しかし、舌が全然動かない。まず口を開けるのも難しい。

舌を動かすと痛いのだが、痛いなと思うくらいで動かすのが良いとのこと。

痛いなら痛み止めを飲んででも動かす方を優先するようにと。

おしゃべりも、喋りにくくても喋るようにと言われて、ふがふがと喋り始めた。

 

点滴の針も、夕方には取れた。最後ちょっと点滴が漏れてしまって、肌が青くなってしまった…。

お風呂は主治医の判断がいるとのことで、その日は見送り。

 

夜ご飯はおかゆの水分をマシマシにしてもらうことで、完食!

ドロドロの液体が、しっかりハンバーグの味がする不思議…。

サラダも青臭さがなくうまく液体化している。

舌を切ったら味覚も薄くなったりするのかなと思っていたが、全然味はする。

実際は、切られた左半分の味覚は失われたのだけれど、右だけでも十分なのだった。

私は食い意地が張っているので、舌を切ることでちょっと食欲がなくなってもいいかも、と思ったのだけど、全然なくならなかったな…。

病院食は味がすごく美味しくて、毎日の楽しみになった。

栄養士さんにご機嫌で見せたメモ